今回も時事ネタ
先週慢性腎不全で透析打ち切ったらお亡くなりになったというニュースがありました。
これについてちょこっと書いてみようと思います。
わたしの意見を結論からいうと「メディアが騒ぎすぎなだけでしょ」と思っています。
事の顛末として
・人工透析ってのは手にシャントという透析受け入れ部分を作って行う
・その人はその部分に不具合が起きて手ではできなくなった。
・首のあたりを使えば透析を行えるんだけど、患者が透析はもう嫌だという
・医師は透析しないことによるリスクを説明したんだけど、患者がNOというので同意書を取って透析を中止
・しばらくして患者が重体に。亡くなる手前で再開してくださいとお願いするも、医師は同意書を取ったときの判断を優先して緩和医療のみ行う
・緩和医療なので患者死亡。その直前のメールやり取りが公開される。結構センセーショナル
客観的に書くとこんな感じ。
メディアは透析しないって選択肢を提示したというのを「患者に死ぬことを提示した」みたいなこと書いてます。
これは間違いではないんだけど、言い方の問題ってのはあるのだと思うのですよね。「PVが取れる表現」っていいますか。
治療法の提示として
①プランA
②プランB
③それ以外のプランはここでは提示できないので他でかかる
こんな感じであると思います。
で、普段なら医師から提示することはあんまりないけども
④(治療行為は)なにもしない
これを提示したってことなんでしょうね。
在宅医療だと患者というか患者家族が自由意志で④を選ぶってのは割とある話だとは思うんですけども.
患者が選ぶことがあってもそれを医師が提示したことが良くないっていう方もいるのかもしれませんね。
自分は医師ではないですが①②③提示してどれもNoと言われたら④提示するかなぁとは思います。
もちろん、④に関してはそれによって発生しうるリスクをきちんと説明するというのが前提ではありますけど
患者が納得して選んだのであればそれは尊重したいと思います。
このあたりってのは安楽死、尊厳死の問題にも引っかかってくると思うんですが、日本は安楽死はまだ認められてないですからね。
この辺のことがさっぱり進まないってのはメディアが騒ぎ立てるのが原因の様な気もします。
20年ぐらい前だと末期癌でとかでもとにかく延命してっていう考え方もあったんですが、今だと治療をせずに緩和医療だけするってのもあります。
今回の例ってのはそれの延長線上の出来事であるのかなぁと思っています。
人によってどれぐらいか延長線の距離が違うと思いますし、遠すぎて一緒の扱いにすべきではないという人もいるのではないでしょうか?
わたしにとっては治療法がない状態で人工呼吸器で生きながらえている人の呼吸器を外すのと同じでは?と思うんだけど
あと4年生きることができるんだからそれとは違う!という人もいると思います。
これについてはどっちも正しいし、間違っているっていうもんではないと思うのです。
「わたしとあなたは意見が違う」「意見が違ってもそれはそれでよくあること」
大事なのはここなんじゃないかな?
あんまり薬っぽい話ではなかったけど今回はここまで。
そろそろアノマリーがらみで忙しくなりそうなのでもしかしたら来週、再来週はお休みもらうかも。
またその時は連絡しますね。
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